投稿日:2004-10-23 Sat
私はボランティアグループで取り組んでいる「割り箸リサイクル」のために、炭窯に煙突をセットして火をつけようとしていました。「ズッドーン!!!」と付き上げるようにゆれ、更に激しい横揺れ。
一瞬、何がなんだか分かりません。
「ヤバイ!!落ちる。」炭小屋が山本山の崖の上に建っているため、とっさに思い、崖からはなれました。
「マズイ!軽トラックが落ちる」と、軽トラックを移動するために乗り込むと再び激しい揺れが・・・。
「いったい、何がどうなっているんだ。」慌てて軽トラックを移動させ
「家に帰らなければ」と、こわごわ車で7~8分離れた家に引き返しました。
家の前の道路が広くなっているため、近所の人が集まっています。
爺ちゃんも長男が手を引いて外に出ていました。
集まった近所の者同士で安否を確認し合い、揺れが来るたびに悲鳴が上がります。
隣の家の家族はお父さんが帰っておらず、子供を含めた女性4人で怖がっていました。
私はゆれの隙間を縫って家に入り、玄関に下げてあったジャンバーなどを取り出し、爺ちゃんや隣の子供達に着せます。
誰ともなく
「避難所はテクノ・アカデミーだからそこへ移動しよう」と言うことになりました。
私達家族と隣の家と、近所の一人暮らしの爺ちゃんと車でアカデミーのグランドに移動し、私の家の2台と隣の家の車を並べ
「この桜の木の隣の車3台が目印だよ。何があってもここを動かないで」と言いつけ、私はバイクと毛布をとりに家に戻ります。
私が毛布を窓から投げ出し、バイクにくくりつけていると隣の家のお父さんが帰ってきて、
「おい、みんな無事で一緒にいるから」と避難先まで、案内をします。
それから私は地域の消防団の召集がかかり、消防車で深夜1時頃まで「危険な箇所には近づかないように」と、広報活動をしたり、けが人を病院へ搬送していました。
消防自動車で警戒中に友人からメールが
「家族で市外で旅行中。これから向かって、家に帰れるか」
「俺達も状況をつかんでいない。市内も満足に動けない。今は無理だろう。」と、返信をしました。
私達が消防自動車で広報活動をしていると、地域ごとに集まり焚き火をして暖を取っている人から「頑張れよー」と声も掛かります。
地域のみんなが一つにまとまり、地震の夜を過ごしました。
消防団には、翌日の6時半集合の指示が出ます。
レッドカード

地震の数日後、我家に張られたレッドカード。
傾いた家

地震の数日後。家の中に入り、身の回りの必要なものを持ち出しました。そのとき撮影した廊下の窓。
飛び出した基礎擁壁

家の基礎が動いて、よう壁ブロックが飛び出しています。基礎部分がなくなり、家は浮いてしまっています。
引き裂かれた玄関の柱

玄関の柱は、真っ二つに引き裂かれてしまいました。
スポンサーサイト
△ PAGE UP