投稿日:2004-10-30 Sat
地震発生4日後に車で1時間ほどの長岡姉の家で体を洗い、一泊をした。もう一軒の姉の家も自宅に戻れると言う姉達から「車に泊まっていないで、家族は分かれるけど私達の家に泊まってはどうか」と提案される。
家族で相談をした結果、車で1時間の距離がある姉の家に車を持っている私とカミさんと長男、比較的駅に近い姉の家に次女と爺ちゃんが別れて泊まることにした。
その旨を隣の家に伝えると「俺達は小学校のグラウンドで、テント生活をする」と言うこと。今まで一緒に生活をしていたのに、辛い別れだった。
引越しキャラバン隊

地震発生8日目。軽トラック3台、ラルゴ、サンバーにて引越しを開始。引っ張り出せる荷物は全て積み込んで、長岡の姉の家のほか閉店中の美容院を借りて、荷物をストックした。(先頭のワンボックスはお隣さんが宿泊用に、自分の勤める会社から借りて来たもの)

長岡に向かって走っていると取材を受けた記者から電話がはいり「小千谷の上に地震雲が出ているから、これからの地震に気をつけて」とアドバイスが入る。
テント村

(R10.23東小グランドより引用) お隣さんが入ったテント村ではないが、同じタイプのテントに宿泊していた。
その後、私が仕事を追え夕方に顔を出すと、ストーブをつけっぱなしでお婆ちゃんがマスクをしていた。
「婆ちゃん元気だかぇ」
「だめだ風邪を引いた」とマスク越しに話してくれた。小学生の子供達もお母さんに膝枕をしてもらいながら元気がない。
「気が変になりそう・・・。」はオヤジの精一杯のぼやき。
このお隣さんもテント暮らしを観念して、ライフラインの復旧もままならない自宅に戻り、自宅玄関前で車上暮らしを始めた・・・。
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