投稿日:2006-10-22 Sun
2年前。私はボランティアグループで取り組んでいる「割り箸リサイクル」のために、炭窯に煙突をセットして火をつけようとしていました。
「ズッドーン!!!」一瞬、何がなんだか分かりません。
「ヤバイ!!落ちる。」炭小屋が山本山の崖の上に建っているため、とっさに思い、崖からはなれました。
「マズイ!軽トラックが落ちる」と、軽トラックを移動するために乗り込むと再び激しい揺れが・・・。
「いったい、何がどうなっているんだ。」慌てて軽トラックを移動させ
「家に帰らなければ」と、こわごわ車で7~8分離れた家に引き返しました。
家の前の道路が広くなっているため、近所の人が集まっています。
爺ちゃんも長男が手を引いて外に出ていました。
集まった近所の者同士で安否を確認し合い、揺れが来るたびに悲鳴が上がります。
隣の家の家族はお父さんが帰っておらず、子供を含めた女性4人で怖がっていました。
私はゆれの隙間を縫って家に入り、玄関に下げてあったジャンバーなどを取り出し、爺ちゃんや隣の子供達に着せます。
誰ともなく
「避難所はテクノ・アカデミーだからそこへ移動しよう」と言うことになりました。
私達家族と隣の家と、近所の一人暮らしの爺ちゃんと車でアカデミーのグランドに移動し、私の家の2台と隣の家の車を並べ
「この桜の木の隣の車3台が目印だよ。何があってもここを動かないで」と言いつけ、私はバイクと毛布をとりに家に戻ります。
私が毛布を窓から投げ出し、バイクにくくりつけていると隣の家のお父さんが帰ってきて、
「おい、みんな無事で一緒にいるから」と避難先まで、案内をします。
それから私は地域の消防団の召集がかかり、消防車で深夜1時頃まで「危険な箇所には近づかないように」と、広報活動をしたり、けが人を病院へ搬送していました。
消防自動車で警戒中に友人からメールが
「家族で市外で旅行中。これから向かって、家に帰れるか」
「俺達も状況をつかんでいない。市内も満足に動けない。今は無理だろう。」と、返信をしました。
私達が消防自動車で広報活動をしていると、地域ごとに集まり焚き火をして暖を取っている人から「頑張れよー」と声も掛かります。
地域のみんなが一つにまとまり、地震の夜を過ごしました。
消防団には、翌日の6時半集合の指示が出ます。
レッドカード

地震の数日後、我家に張られたレッドカード。
傾いた家

地震の数日後。家の中に入り、身の回りの必要なものを持ち出しました。そのとき撮影した廊下の窓。
飛び出した基礎擁壁

家の基礎が動いて、よう壁ブロックが飛び出しています。基礎部分がなくなり、家は浮いてしまっています。
引き裂かれた玄関の柱

玄関の柱は、真っ二つに引き裂かれてしまいました。
スポンサーサイト
>家のハウスも何か有った時は提供出来る様にして有ります。
>簡易トイレや井戸なども有りますし。(最近作って貰った)
さすがです。
女性の方が怖い思いや苦労をされて、真剣に災害のことを考えているようです。
>簡易トイレや井戸なども有りますし。(最近作って貰った)
さすがです。
女性の方が怖い思いや苦労をされて、真剣に災害のことを考えているようです。
いまだにあの時の怖さ思い出します・・こちらでもドン!と言う感じででゆれて・・その後も何度かゆれました・・そのあと暫らくは逃げ道&必要な物を枕元に置いて寝ましたよ・・・幸いこちらはたいした事は有りませんでしたが・・連日ニュースを見ていて本当に気の毒でした。
こちらは・・1番強く感じた揺れも震度3だったんですよ・・
それでも怖くて寝れない日が何日も続いたのに・・・
被災地の方々の恐怖や疲れを思うと本当に可哀想に・・辛いだろうな・・と思いニュースを見ていた記憶が有ります。
あの時はハウスなどに寝泊りしていた方も多く居たような記憶が有ります。
家のハウスも何か有った時は提供出来る様にして有ります。
簡易トイレや井戸なども有りますし。(最近作って貰った)
マア・・・あまり・・・使いたくは無いですがね・・・何事も無いことを祈ってますが・・自然災害だけはいつ何処で有るか分からないですものね・・。
それでも・・その中から頑張って復興された方々やいまだ復興すべく頑張っている方々には本当にその逞しさに感心致します。
皆さん頑張ってください。
こちらは・・1番強く感じた揺れも震度3だったんですよ・・
それでも怖くて寝れない日が何日も続いたのに・・・
被災地の方々の恐怖や疲れを思うと本当に可哀想に・・辛いだろうな・・と思いニュースを見ていた記憶が有ります。
あの時はハウスなどに寝泊りしていた方も多く居たような記憶が有ります。
家のハウスも何か有った時は提供出来る様にして有ります。
簡易トイレや井戸なども有りますし。(最近作って貰った)
マア・・・あまり・・・使いたくは無いですがね・・・何事も無いことを祈ってますが・・自然災害だけはいつ何処で有るか分からないですものね・・。
それでも・・その中から頑張って復興された方々やいまだ復興すべく頑張っている方々には本当にその逞しさに感心致します。
皆さん頑張ってください。
私たちは子供さんが救出された直ぐ近くまで軽トラックで行き、そこから徒歩と自転車とバイクで情報収集や水と食料の運搬をしていました。
その2日後だったと思います。救出劇が始まったのは・・・。
また車がこの崩壊に巻き込まれ、命からがらに自力で脱出た女性もいらしたんですよ。
運命とはいえ、子供さんの生命力には驚くばかりです。
その2日後だったと思います。救出劇が始まったのは・・・。
また車がこの崩壊に巻き込まれ、命からがらに自力で脱出た女性もいらしたんですよ。
運命とはいえ、子供さんの生命力には驚くばかりです。
もう地震から2年が経つのですね。
親子さんが車で生き埋めになり、子供さんが救出されたのを見て
早くお母さん達を出してあげて!!と手に汗をかいて見ていました。
四国も東南海地震が近づいているようです。地震の無い国に行きた
いですね。
親子さんが車で生き埋めになり、子供さんが救出されたのを見て
早くお母さん達を出してあげて!!と手に汗をかいて見ていました。
四国も東南海地震が近づいているようです。地震の無い国に行きた
いですね。
△ PAGE UP