投稿日:2005-09-03 Sat
昨年の地震発生以来、数回にわたり中越元気村と社協のボランティアの方々にお願いして全壊家屋の後片付け、半壊作業場の後片付け、雪囲い、倒木の枝の始末などのお手伝いをお願いしてきました。本当に助かりました。
その中越元気村も、8月末で撤収するとか・・・。
ちょうど、ピンクドームの解体作業をしていたところに車で通ったので立ち寄り、残って後片付けをしているスタッフの方々に、爺ちゃんと2人で「ありがとうございました」と、挨拶をしてきました。

私達の復興には阪神淡路の教訓が生かされ、私達は本当に助かりました。元気村もその教訓の一つだとおもいます。
お手伝いを頂いたボランティアの中には、休みを取って岡山県からやってきたという外国籍の方もいらして、感謝するばかりです。
<半壊の作業場(かつての我家)の雪囲いのお手伝いをお願いしました>

<家の中の後片付けと被災田の野焼きのお手伝いをお願いしました>

<倒れた杉の木の枝の後片付けをお願いしました>

しかし、社協のボランティアセンターと元気村が、意思疎通が図られなかったと聞き、残念でなりません。
また、元気村に視察に訪れた小千谷市議会議員から「自立の妨げにならないか?」という旨の発言があったと聞き、他地域からのボランティアメンバーを受け入れられない、小千谷地域独特の『メンタル面の壁』があったのかと考えさせられました。
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